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土居の町を、青年山から −79年前、昭和6年(1931年)の写真など− |
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2010/4/30(金)曇〔西予市城川町土居〕 |
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城川総合運動公園越しに 新開方面を見る。 |
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![]() 同じく、呉野々方面 |
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↑ 運動公園のところから 青年山に向かって 新しく作業道が 出来ました。 路面は荒れた ままですが たどってみることにします。 ←土居の町が このように 見えてきます。 |
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![]() 【古いアルバムから出てきた写真】 昭和32年(1957年)頃の早春、土居小学校(右下)の裏山「カツラヤブ」から。 中央に土居の町、その対岸に、新開、呉野々など。中央の杉の木立は「三嶋神社」。 |
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三嶋神社を見ながら、 山道を上がる。 |
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幾つかの 分岐があります。 |
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少しずつ 高度が 上がり。 |
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土居の町が 俯瞰出来るように なります。 |
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三嶋神社の手前は 西予市立土居小学校。 鉄筋コンクリート造3階建。 昭和47年(1972年)に 新築か。 |
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約60年前の 昭和25年(1950年) 4月3日撮影の 土居村立土居小学校と 土居中学校(右側2棟) 〔撮影はH.M.氏〕 |
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【昭和6年(1931年)9月竣工時に撮影されたと思われる土居小学校新校舎】〔撮影者不明〕 左端の出窓のある教室は、家庭科教室として板張りから畳張りにすぐに変更できる “リバーシブル”ものだった。昭和26年3月中学卒業の私らも、教室として使用した。 |
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昭和5年12月7日未明の火災により消失した校舎のあとに新築されたものである。 写真に見える半円形の穴から床下に潜ると、ガラスの溶けた破片などを拾うことが出来た。 |
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土居小学校の沿革について、文献を調べてみた。概略、以下のようなものであった。 ●明治8年(1875年)土居報恩寺の裏長屋に、旧郷名を冠した「北川小学校」を学区長渡辺深造が創立。 ●明治19年(1886年)土居字久井谷(ひさいだに)に坂田早太郎、岡田寅太郎が建築委員となり校舎新築。 ●明治26年(1893年)4月、間口3間奥行4間の瓦葺平屋建で高等科を併設、土居尋常高等小学校発足。高知県梼原方面からも入学者あり、教室狭隘となり、村費・寄付金など550円で、明治27年、2階建などに増築。 ●大正15年(1926年)8月、現在の場所(土居字カツラヤブ)に、5万円の起債を起こし二階建て瓦葺桁行25間、梁行5間の校舎ならびに教員室、小使室、便所等の付属建物を含め5万2千余円で完成。 ●昭和5年(1930年)12月7日未明出火、平屋建校舎1棟、便所1棟を残し全焼。 ●昭和6年(1931年)9月、平屋建スレート葺き2棟、講堂、便所、教員室、炊事場等総工費1万5千余円で竣工(上の写真がその新築校舎である)。【出典:『土居郷土誌』1976・土居郷土誌発行委員会】 |
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![]() なにかが祀られているかに 見えるが、岩のシミだった。 ← 中学生時代、探検した 「山賊岩」という洞穴があった。 このすぐ近くとは思うが、 登山靴などを履いてこな かったため今回はパス。 |
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上部は、作られてから まだ比較的新しい。 |
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立派な「裏道」が 出来た。 |
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平成22年(2010年)現在の土居の町。左、県道2号。右二つはその裏通りに出来た新道(一部未開通) | ||
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最終場所まで行けず、 今回はこの辺りまで。 ← ヤマツツジの綺麗な 山である。 |
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上部の分岐も幾つか。 ← 標高451.3mの 甲ヶ森(かぶとがもり)と ほとんど同じ高さまで 歩いて、ここで引き返し。 |
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タヌキか何かの 足跡に出会う。 ← 県道2号交差点横の 「どろんこ祭り記念館」 |
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平成22年(2010年) 4月30日の 土居の町。 |
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昭和25年(1950年) 4月3日の 土居の町。 〔H.M.氏撮影〕 |
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昭和30年(1955年)頃撮影の雪景色〔新開の矢野杏仙屋敷跡付近から小学校裏のカツラヤブを望む〕 中央右の建物は「聚楽館」(映画館兼劇場) |
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【土居小学校は平成25年(2013年)4月1日に、統合され、なくなる予定です】 詳しくは、西予市の公式ページに、その理由・原因などが出ています。 こちら→「西予市小学校再編計画の公表について」をご覧下さい。 昭和5年度の264名から昭和27年度の334名まで、およそ200名台から300名台を維持、また 昭和35年の574名という生徒数も今や平成21年度は45名、平成25年に廃校となる予定。 |
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